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【鶴岡市】最強のパワースポット!金峯山の山頂にある神社。黄金の御朱印。金峯神社に行ってみた。

山形県では多くの神社に行ってきましたが金峯神社(きんぼうじんじゃ)は個人的にとても印象深い神社でした。

なぜかと言うとまず本殿までの道のりです。山道をぐるぐると車で上がっていき車を駐車しさらに登山をします。

そして山道の入口には熊出没注意の看板がありとても雰囲気のある冒険しているような気分になる道のりだったからです。

金峯神社は庄内平野の南端,古来より霊山として篤く信仰されてきた金峯山にあり、山頂にある本殿は国指定重要文化財に指定されています。

承和の頃の勅命により、造営され、慶長の様式がよく保存されていることにより近世初期の建築物として、建立後の時代変遷の確認できる点でも価値が高く、また東北地方の修験道の数少ない遺構としても貴重な建造物といわれています。

本殿は山頂近くの平坦地に東面して建ち,棟札や文書より,慶長13年(1608)に最上義光を大檀那とし,前身建物を改造して建てられたといわれています。

酒ぐせの悪い人を癒す「禁酒のかめと大盃」もございます。

アクセス

山形県鶴岡市青龍寺金峯1

JR鶴岡駅から金峯・机方面バスで20分 金峯登山口下車徒歩で30分
山形自動車道 鶴岡ICから車で15分
日本海東北自動車道 鶴岡西ICから車で20分

0235-23-7863

金峯山内建物位置図(パンフレットより抜粋)
御朱印

御朱印を待っている時間が30分くらいありとても長ったのですが頂いた御朱印がとても素敵なもので満足しました。寒いなか待っていてよかったです。

境内風景
金峯山の歴史(パンフレットより抜粋)

金峯山はその昔、蓮華峯とか八葉山などといわれ、また母狩山,鎧ヶ峯,摩耶山「湯ノ沢岳をふくめ五老峯とも呼び、また熊野三山になぞらえて金峯山・母狩山・摩耶山を「金峯三山」といって金峯修験の聖地であった。
第三十八代天智天皇の十年(六七一)役ノ行者(小角)の開基にして、山頂に「金剛蔵王権現」(本地釈迦如来)を祀り、朝野の崇敬が篤く、また武将の信仰特に厚く第五十代桓武天皇の延暦二十年(八〇一)には、征夷大将軍坂上田村麿が東夷再征の折、金峯山に祈願して、度々の奇瑞があったと伝えられる。

第五十二代嵯峨天皇の弘仁三年(八一二)には慈覚大師(円仁)が青龍寺を建て金峯山を開山し、文徳天皇の天安二年(八五八)如意輸観音堂を造顕したとの一説もある。
また醍謝天皇の昌泰二年(八九九)には、陽勝尊者が金峯修験道の順峯を開いたとされ、逆峯は弘安六年、(一二八三)大先達秀玉によって始められ、天正年間に廃絶したと伝られる。

白河天皇の承暦年中(一〇七七〜八〇)に和泉国(大阪府)宇多城主丹波守藤原盛宗が故あって出羽国に移り、その時氏神であった吉野金峯山の御祭神を当山に合わせ勧請し、山名を金峯山に改め、金峯蔵王権現を斎き尊崇したと伝えられる。

下っで後小松天皇の応永二年(一三九五)楠正勝(正成の孫)傑堂能勝禅師が高坂に巡錫し金沢山洞春院を創設したといわれ、この時に奉持した御醍醐天皇ご展筆『蔵王大権現』の尊軸を陪従小林隼人祐を承仕役として金峯山に奉納したと伝えられている。

明治の初めの神仏分離令によって金峯山もこれに従い、山頂本堂(蔵王権現堂)を御嶽神社と改め、大国主命・事代主命・少彦名命・安閑天皇の四柱をご祭神と定め、明治十三年金峯神社と改称、如意輪観音堂は胸形神社と改め、更に大正十五年に金峯神社中の宮となったのである。
昭和二十七年別表神社となる。
平成十三年十一月十四日御本殿が国指定重要文化財となる。

金峯神社 御祭神 (パンフレットより抜粋)

大国主命(だいこく様)
開拓と耕作を教え、五穀豊穣、開運出世、縁むすび等に至るまで我々の衣食住を守護し福徳円満の神である。

事代主命(えびす様)
商売繁栄、海上安全、大漁満足の守護神である。

少彦名命
医薬の道を教え、病気平癒、厄難消除をつかさどる神である。

安閑天皇
凶作に備える為に倉庫を建て、穀物を貯え、国民に勤倹貯蓄を奨励した二十七代の天皇であり、当神社に福神として祀ったのである。

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